HAPPY BIRTHDAY
2008年 12月 08日
今日はkoharuの4歳の誕生日です。
誕生日だと言うのに、耳鼻科通い。
そして旦那さんは出張。
中耳炎のほうは、まだ長くかかるそうです。
痛みはもうないんだけどね。
旦那さんもいないし、病院が夕方遅くまでかかったので、(言い訳っぽい?)
帰りにららぽーとでご飯を食べました。
小さなケーキを買って、地味ぃ~にお祝い。
来年は作ります・・・
今日はかなり長くなるけど、koharuの出産について書こうと思います。
ほんとに長文なので時間のある時にでも読んでください。
koharuの出産は1人目のharutoと比べて何もかも違いました。
harutoの時は普通に陣痛から始まり、生まれるまで48時間もかかったものの、生まれてからは何の問題もなく退院。
koharuの出産と言えば・・・
旦那さんは臨月に入ってからドイツに1ヶ月間の出張・・・
帰国は出産予定日の一週間後です。
臨月のナーバスな時期を3歳だったharutoと2人きりで過ごしました。
出産が近くなってから、私の母とお姑さんが2人で来てくれました。
予定日の一週間前の夜12時。
寝ていたらお尻のあたりでツーっと冷たいものを感じました。
何かおかしい、と思ってトイレに座った途端、「ジャーッ」と流れるものが。
破水です。何も知らないで寝ているharutoをお姑さんにお願いして、
急いで母とタクシーで病院へ向かいました。
タクシーで病院に向かう途中、携帯にドイツから電話が。
何も知らない旦那さんは、のんきな声で
「赤ちゃんの洋服とブーツ買ったよ~♪」だって・・・
「破水して今病院に向かってるから!」と言って電話を切りました(笑)
病院に着いてからも破水が続き、
羊水が全部出てしまった為に産道の滑りが悪く、生まれるまで6時間もかかりました。そして助産師さんの第一声は、
「お顔におまけが付いて生まれて来たよー」でした。
見ると、ほっぺに1つ、耳に2つ、ご飯粒のような突起物がありました。
ほっぺの突起物の大きさは、新生児の小指の第1関節くらいの大きさです。
一瞬、血の気が引いてしまったけど、
「こんなの取れば何とかなる」とすぐに冷静になれました。
助産師さんがkoharuの体をきれいにしてから、分娩室の向こうで待つ母のところへ連れて行きました。
すると「お母さん!お母さん!」と助産師さんの声が。
一睡もしないで私の絶叫する声を聞き続けていたのと、
koharuの顔を見てびっくりしたのが重なったのでしょう。
母はその場で倒れてしまったんです。
母は陣痛室で点滴を受けました。今となっては笑い話ですけどね。
ぽっぺと耳に付いている突起物は「副耳(ふくじ)」と言って、
そんなに珍しいものではない、と助産師さんは説明してくれました。
一般的には、生まれてすぐ副耳の付け根を糸で結び、
壊死させてから自然に取れるまで待つ方法があるそうなのですが、
koharuの場合は女の子だし、ぽっぺだと痕も気になるだろうから、
後でゆっくりと相談しよう、と言う事になりました。
母も回復して帰宅した後、
病室に戻って、やっと一息ついたかと思ったら、小児科の先生が来て、
「肺の水っぽい音が気になるので、保育器で数日様子を見ます」と言われました。体重3160グラムで、元気な産声を聞いて安心しきっていたので、先生の言葉が全く理解できませんでした。
保育器の中で細い腕に点滴を打たれている姿は今でも目に焼きついています。
頭の整理がつかないまま、少し経ってからまたさっきの先生が来ました。
今度は「背骨の一部がボコッと出ている」と。
(↑こんな変な表現はしてなかったけど(笑)、パニックだったので何と説明されたか覚えていません)
私も見に行くと、本当に背骨が出っ張っている様に見えました。
でも触ると軟らかくて、骨でなくて脂肪のかたまりの様な感じです。
一度に色んな事を言われて混乱したまま夜を迎えました。
一番相談したい相手は日本にいないし・・・
背中が曲がって歩けなくなったらどうしようとか、
悪い物だったらどうしようとか、不安で不安でずっと泣いていました。
次の日harutoが面会に来てくれて、少しの時間心が休まったけど、
harutoが帰った後は余計寂しくなってまた泣いて。
夜は夜でkoharuを抱っこも出来ない、おっぱいもあげれない悲しさで
またまた泣いて。
出産後4日目で、肺の状態も正常になり、保育器から出て私の病室に来た時は、副耳なんて目に入らない程、もう愛おしくて仕方ありませんでした。
そして、退院の当日。
普通なら退院手続きをしてすぐ帰れますよね。
koharuの場合は副耳の相談をしに病院内の皮膚科に行きました。
ほっぺの副耳は1ヵ月後、レーザーで取ってもらう事に。
耳の部分は軟骨もある副耳なので全身麻酔が必要で、1歳過ぎてからが好ましいと言われ、そうする事にしました。
そしてその足で今度は整形外科で背骨の診察。
生後数日の小さな子をレントゲンの台に乗せた時は、
「なんでこんな事になったんだろう」と泣けてきました。
診察の結果は骨が出てるわけではなく、悪いものでもなさそうなので、
今すぐどうこうという事ではないので、経過を見よう、と言われました。
何かしっくりこなかったけど、とりあえず一安心。
この6日間、はっきり言って身も心もボロッボロでした。
経産婦だったので、harutoには産む前から「4日目で帰るからね」と言い聞かせていたのに、保育器に入っていた為に退院が2日も延びてharutoにはすごく寂しい思いをさせてしまいました。
退院してから数週間後、なんと背中の出っ張りがなくなったんです!
服の上から触っても分かるほど出ていたのに・・・
あれは一体何だったんだろう・・・?
そんな事もあって、
幼稚園のどんな小さな行事でも泣いてしまうんですよね。
あの時みんなに心配されていた子が、
よくここまで元気に大きくなったな、って。
副耳の手術についてはまた後日書きたいと思います。
最後まで長文にお付き合いいただいて、ありがとうございました。
誕生日だと言うのに、耳鼻科通い。
そして旦那さんは出張。
中耳炎のほうは、まだ長くかかるそうです。
痛みはもうないんだけどね。
旦那さんもいないし、病院が夕方遅くまでかかったので、(言い訳っぽい?)
帰りにららぽーとでご飯を食べました。
小さなケーキを買って、地味ぃ~にお祝い。
来年は作ります・・・
今日はかなり長くなるけど、koharuの出産について書こうと思います。
ほんとに長文なので時間のある時にでも読んでください。
koharuの出産は1人目のharutoと比べて何もかも違いました。
harutoの時は普通に陣痛から始まり、生まれるまで48時間もかかったものの、生まれてからは何の問題もなく退院。
koharuの出産と言えば・・・
旦那さんは臨月に入ってからドイツに1ヶ月間の出張・・・
帰国は出産予定日の一週間後です。
臨月のナーバスな時期を3歳だったharutoと2人きりで過ごしました。
出産が近くなってから、私の母とお姑さんが2人で来てくれました。
予定日の一週間前の夜12時。
寝ていたらお尻のあたりでツーっと冷たいものを感じました。
何かおかしい、と思ってトイレに座った途端、「ジャーッ」と流れるものが。
破水です。何も知らないで寝ているharutoをお姑さんにお願いして、
急いで母とタクシーで病院へ向かいました。
タクシーで病院に向かう途中、携帯にドイツから電話が。
何も知らない旦那さんは、のんきな声で
「赤ちゃんの洋服とブーツ買ったよ~♪」だって・・・
「破水して今病院に向かってるから!」と言って電話を切りました(笑)
病院に着いてからも破水が続き、
羊水が全部出てしまった為に産道の滑りが悪く、生まれるまで6時間もかかりました。そして助産師さんの第一声は、
「お顔におまけが付いて生まれて来たよー」でした。
見ると、ほっぺに1つ、耳に2つ、ご飯粒のような突起物がありました。
ほっぺの突起物の大きさは、新生児の小指の第1関節くらいの大きさです。
一瞬、血の気が引いてしまったけど、
「こんなの取れば何とかなる」とすぐに冷静になれました。
助産師さんがkoharuの体をきれいにしてから、分娩室の向こうで待つ母のところへ連れて行きました。
すると「お母さん!お母さん!」と助産師さんの声が。
一睡もしないで私の絶叫する声を聞き続けていたのと、
koharuの顔を見てびっくりしたのが重なったのでしょう。
母はその場で倒れてしまったんです。
母は陣痛室で点滴を受けました。今となっては笑い話ですけどね。
ぽっぺと耳に付いている突起物は「副耳(ふくじ)」と言って、
そんなに珍しいものではない、と助産師さんは説明してくれました。
一般的には、生まれてすぐ副耳の付け根を糸で結び、
壊死させてから自然に取れるまで待つ方法があるそうなのですが、
koharuの場合は女の子だし、ぽっぺだと痕も気になるだろうから、
後でゆっくりと相談しよう、と言う事になりました。
母も回復して帰宅した後、
病室に戻って、やっと一息ついたかと思ったら、小児科の先生が来て、
「肺の水っぽい音が気になるので、保育器で数日様子を見ます」と言われました。体重3160グラムで、元気な産声を聞いて安心しきっていたので、先生の言葉が全く理解できませんでした。
保育器の中で細い腕に点滴を打たれている姿は今でも目に焼きついています。
頭の整理がつかないまま、少し経ってからまたさっきの先生が来ました。
今度は「背骨の一部がボコッと出ている」と。
(↑こんな変な表現はしてなかったけど(笑)、パニックだったので何と説明されたか覚えていません)
私も見に行くと、本当に背骨が出っ張っている様に見えました。
でも触ると軟らかくて、骨でなくて脂肪のかたまりの様な感じです。
一度に色んな事を言われて混乱したまま夜を迎えました。
一番相談したい相手は日本にいないし・・・
背中が曲がって歩けなくなったらどうしようとか、
悪い物だったらどうしようとか、不安で不安でずっと泣いていました。
次の日harutoが面会に来てくれて、少しの時間心が休まったけど、
harutoが帰った後は余計寂しくなってまた泣いて。
夜は夜でkoharuを抱っこも出来ない、おっぱいもあげれない悲しさで
またまた泣いて。
出産後4日目で、肺の状態も正常になり、保育器から出て私の病室に来た時は、副耳なんて目に入らない程、もう愛おしくて仕方ありませんでした。
そして、退院の当日。
普通なら退院手続きをしてすぐ帰れますよね。
koharuの場合は副耳の相談をしに病院内の皮膚科に行きました。
ほっぺの副耳は1ヵ月後、レーザーで取ってもらう事に。
耳の部分は軟骨もある副耳なので全身麻酔が必要で、1歳過ぎてからが好ましいと言われ、そうする事にしました。
そしてその足で今度は整形外科で背骨の診察。
生後数日の小さな子をレントゲンの台に乗せた時は、
「なんでこんな事になったんだろう」と泣けてきました。
診察の結果は骨が出てるわけではなく、悪いものでもなさそうなので、
今すぐどうこうという事ではないので、経過を見よう、と言われました。
何かしっくりこなかったけど、とりあえず一安心。
この6日間、はっきり言って身も心もボロッボロでした。
経産婦だったので、harutoには産む前から「4日目で帰るからね」と言い聞かせていたのに、保育器に入っていた為に退院が2日も延びてharutoにはすごく寂しい思いをさせてしまいました。
退院してから数週間後、なんと背中の出っ張りがなくなったんです!
服の上から触っても分かるほど出ていたのに・・・
あれは一体何だったんだろう・・・?
そんな事もあって、
幼稚園のどんな小さな行事でも泣いてしまうんですよね。
あの時みんなに心配されていた子が、
よくここまで元気に大きくなったな、って。
副耳の手術についてはまた後日書きたいと思います。
最後まで長文にお付き合いいただいて、ありがとうございました。
by koharuto | 2008-12-08 23:55 | 家族